心と体

2011年2月 3日 (木)

明日は立春

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明日は立春。

立春が一年の初めと考えるなら、今日3日の節分は大晦日。

うれしいことがありました。

カウンセリングルーム・気づきのポケットに通って来てくださっているクライエントさんが、自らの力で多くの気づきを得られて、元気な心を取戻され、前向きに生きていかれるようになりました。「毎日〃どんより曇っていた心が、今では今日の青空のようになった」とのお話を聴かせていただき、クライエントさんと共に、うれしい気持ちで立春を迎えることができます。

本当にうれしいです。

今夕は、熱海来宮神社の豆まきに行きました。来宮神社には、樹齢2000年以上と言われている、神々が宿る御神木の大楠があります。見るからに異形なこの大楠を一廻りすると、一年寿命がのびる。また、思うことを誰にも伝えないで一廻りすると、願い事が叶うと古くから言い伝えられています。

心願成就のパワースポットとして、参拝される方〃で賑わっているのですよ。

私も、願い事を心で思いながら大楠を一廻りしました。

もちろん・・・ないしょ・・です!!

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2011年1月18日 (火)

はかない命

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養護施設で

秋のある朝、難病を抱えていた2歳の男の子が幼児室で亡くなっていました。

幼児室の子ども達とは、普段からあまりふれ合いがなくて、訃報を聞いたときには亡くなった男児の顔も思い浮かばなかったくらいです。

この世に生をうけて、わずか2年で、しかもたった一人で旅立っていった男の子。はかなく消えた命。寂しく悲しすぎる男の子の宿命に涙が止りませんでした。

男の子は、両親とも行方不明で、時々は祖母が施設に会いに来ていました。

ささやかな葬儀を施設で行いました。両親は連絡がとれず、祖母も葬儀にはやってきませんでした。

火葬場でも両親や祖母を待ちましたが限界になり、棺おけに蓋がされそうになった直前に祖母がやって来ました。

冷たくなった男の子に「ごめんな~。ごめんな~」とすがって泣きじゃくった祖母。生まれてすぐ、両親に捨てられ、思い病気で召された2才の子。

何の為にこの世に生まれてきたのか、また、哀れな祖母の姿に言葉は見つかりませんでした。

葬儀が終わった夜のこと。行方不明の父親が酔っ払って現われ、「わしの子どもを返せ。子どもが死んだのは施設のせいだ」といつまでも、くだをまいていたそうです。

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2011年1月16日 (日)

記念樹

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子ども達が学校に行っている昼間の仕事は、洗濯、破けた衣類のつくろい、部屋やトイレの掃除など等〃。

トイレといえば、使用する紙の準備もしました。それが・・、漫画や雑誌をばらして束ね、黒い木綿糸でしばってトイレにかけるのも仕事の内でした。漫画の紙って、分厚くて硬いのですよ。当時、水洗式トイレの普及はまだまだの時代でしたが、「まさか・・漫画の紙とは・・・。」

施設の建物は廃校になった学校を使っていて、年令、学年別に部屋が分かれており、一緒に働いている若い保育士は、中学生の部屋が並んでいる二階に住み込んでいました。

その頃、たしか火曜日夜9時から「木下恵介アワー・記念樹」というドラマをやっていました。施設の子ども達の生活や心情を描いたドラマ。仕事が終わって火曜日の夜は、保育士皆でドラマ鑑賞。

毎回見るたびに、毎日身近に実感しているような話が展開するドラマに、皆一様に涙したものです。

ドラマでは、記念樹の桜が・・どうだったのか記憶から薄らいでいますが、施設にも裏庭の少し小高い日当たりの良い場所に桜の木が一本立っていました。桜の木の下で、かくれんぼや鬼ごっこをしてしたものですが、「記念樹」の中の桜と施設の裏庭の桜がだぶって見えることも何度も何度もありました。

泣けました。

これは、悪まで私が勤務していた40数年前のお話です。

「記念樹」ドラマの最後に流れた歌

桜の苗が大きく育つ頃 ぼくらはみんな大人になるんだ

あいつとこいつ あなたと私 真っ赤なほっぺをしていたね

うれしきゃ泣いて寂しきゃ笑うんだ なかまがいつも見てるじゃないか

それでも悲しきゃ大きな声で 呼んでみるんだ母さんと

なんでだろう?ふしぎ?

歌詞もメロディーも、すらすらと出てきます。

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2011年1月15日 (土)

クリスマスには楽しい夢を

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施設の子ども達の楽しみは、クリスマス会や誕生会、季節のイベント。夏には盆踊りもやったかな~。確かなことは忘却のかなたへ・・。なにしろ、40数年前ですからね~。

クリスマスには、いろいろな団体などからプレゼントが届いて子ども達が一番輝く笑顔をみせるささやかな幸せの時。そして、保育士にとっても幸せなひと時です。

クリスマス会を行ったその日の夜に、夜勤で部屋を見回って布団をなおしてあげていると、「サンタさ~ん、ありがとう」と寝言を言っていた子もいました。ホロホロ・・・・

よほど、楽しい夢をみていたのでしょう。

中には、実のおやからプレゼントが贈られてくる子もいるのですが、そうでない子の深層ではどんなことを感じ、考えていたのか計り知れないものがありました。

日常においても、親から手紙が届いたり面会に来る子、まったくない子、それぞれでした。

親との交流が全くない子の思いとその姿は、今でも心に焼き付いて時々思い出します。

小学5年生のK君もその内の一人でした。普段はいたずらをして、施設長や総活保母の怖~いおばあさん先生に怒られたり、追いかけられてもすばやく逃げ切り、アッケラカーンとして、夕方になるとテレビを見るのを楽しみにしていました。当時放送していた鉄腕アトムや何とかのヒーローものをみては、アトムやヒーローになりきって、主題曲を歌いまくっていました。生きるたくましさを持っていたK君には、もう脱帽!でした。

そんなK君の、親と面会したり外出をする友だちの姿には寂しさを隠しきれずに、そっと遠くから肩を落として見ていた姿。

しっかり覚えています。

K君、施設を出て社会人になってからも、きっとたくましく生きているのでしょう。

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2011年1月13日 (木)

「かあちゃんな、わいを迎えに来てくれるんやで」養護施設やっちゃん

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やっちゃんという小1の男の子がいました。やっちゃんは、逆さまつ毛があって、太陽を浴びるとまぶしくて、人一倍目をパチクリさせたり、普段も目をかゆがったりしていました。

それでもやっちゃんは、いつも元気いっぱいに身体を動かし、いたずらをしては叱られてばかりいるやんちゃ坊主でした。

木枯らしが窓ガラスのすき間から入り込んでくる、冬の寒~い日のこと。やっちゃんは風邪を引いてお風呂に入れず、一人で身体を丸めて部屋にただ一つだけ置いてある火鉢に手をかざし暖めていました。

ちょうどその時、やっちゃんの部屋の前を通り過ぎようとしていた私。

「やっちゃん、どうしたの?」「わい(ぼく)な、風邪引いてな、風呂に入れないねん」「そう~。じゃ、誰もいないから先生が抱っこしてあげようか?」「うん」思いもがけず素直にうなづいたやっちゃん。

「せんせ。」「な~に」「あんな、わいの母ちゃんな。ここへ来んけどな。一生懸命働いているんや。そしてな。母ちゃん、わいを迎えにきてくれるんやで。わいな。楽しみにしてるんや~」

ドキっとしました。その時、私は「こんなに可愛い子を手放して、お母さんは何してるの!」と考えていたから。幼いやっちゃんに、私の心を見透かされてしまったような気がしたから。ドキっとしたのです。

やっちゃんを抱っこして子守唄を歌ってあげていると、やっちゃんは具合も悪かったせいか、そのうち眠ってしまいました。

なんだか自然に涙がこみあげてきました。

涙が流れないように天井を見つめて、やっちゃんの顔に目をやると・・・。

眠っているはずのやっちゃんの閉じた目から涙がツーッとほっぺを伝わって流れました。

やっちゃんの両親は行方知れずで、施設に一度も逢いに来たことがないと聞いていました。そんな親を信じて、一途に待ち続けているやっちゃん。

それまでの私は、施設の子ども達の親を恨んで、批判していました。「どうして、自分の子どもを捨てられるのか」と。

でも、やっちゃんの涙をみて、「どうしても一緒に暮らせない深い事情があったのだ。親が子どもを捨てるわけがない」と思いました。

人の考えって、ほんの小さな出来事によったり、ほんの短い時間に変わることもある。

血気盛んで未熟な私に、実感させてくれたやっちゃんとのふれ合いの時でした。

あ~。どうして、こんなにも鮮明にあの時のことが思い浮かぶのでしょう。胸がつまります~。

やっちゃん。今、何処でどのように暮らしているのでしょうか。

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2011年1月12日 (水)

養護施設の話 伊達直人共感現象に思う

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寒いですね。

厳しい寒さの中、メディアから伝わってくる世の中をめぐるタイガーマスク現象。心温まるお話ですね~。一人のヒーローが起こした行動への共感が人の心を動かし、その輪が広がっています。い~い話。

こんな現象、今まであったでしょうか。施設の子どもたち、喜んでいるでしょうね。私も、もしかしたら誰よりもこの現象に喜び、感動している人間かもしれません。そして、感動と共に思い出しました。40数年も前のことを・・。

岡山の高校卒業後、兵庫県の養護施設に2年間勤めました。私は、小学5年の時、母と死別し、とても寂しい想いをしました。その想いが、施設で過ごす子ども達の為に働きたいと、行動を起こさせました。

養護施設は、いろいろな事情があって親と一緒に暮らせない環境不遇な子ども達が寝起きを共にし、過ごしているところです。

情熱をもって勤務した施設は、乳児から中学生まで(高校生が一名いたかな)120名定員のかなり大きな施設で、親が行方不明だったり、親に捨てられたり、虐待されたりと一人一人が事情のある子ども達が一緒に生活をしていました。

情熱の塊を持ってスタートした保母(今は保育士)の仕事は、小学高学年生8~10名の受け持ちから始まりました。子ども達の身の回りの世話や、部屋の掃除から洗濯、破れた洋服のつくろいまで、一般の家庭でお母さんがやることはすべてやりました。

う~ん。お母さんと言うより、お姉さん的存在で子ども達に接していたかな。子ども達は一見元気そう。私も、若さとパワーで元気いっぱい。

でも子ども達はみんな、内面は深く傷ついていた。

当時、本当にいろいろ出来事があり、その一つ一つに社会の底辺で暮らす子どもの姿を見ました。

施設で働いた2年間は、私がそれまで考えていなかった自身への気づきを得ることになった、人生で最も貴重な経験でもありました。

人生を振り返ったとき、あの二年間だけは今でもはっきり鮮明に甦ってきます。

施設の子ども達の顔や姿、出来事、そして若かった私の姿。思い出すと涙がこぼれそう。

40数年も前のことなのに・・。

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2011年1月 7日 (金)

大さむ小さむ

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きたかぜこぞうの寒太郎 ことしも町までやってきた~~ ヒュ-ンヒューンヒュルルンルンルンルン寒うござんす・・・

この時期、保育園から流れ聞こえてくる”北風小僧の寒太郎”。ユーモアたっぷり、愉快な歌です。 

昨日は小寒の入り。「おはようございます」の挨拶も、白い息になって消えます。

寒さが厳しくなってまいりました。が、熱海では、もうあたみ桜のつぼみが膨らみ、開花しはじめました。梅園の梅もたくさん咲いて、もうじき梅と桜が同時に楽しめます。

冬は空気が澄んで空も海もきれいに見えるので、寒いけど、冬の散歩が好きです。

ほら、初島(写真上左海上)も伊豆大島(写真上初島の右奥)も、はっきりくっきり見えますよ。

昨夕の夕焼けは、強烈な感動でした。そして、今日も美しい夕焼けを見ることができました。夕焼け時の空の青も、冬ならではの心に染入る青で「きれい~」。

帰り道、肩に冷たさを感じて上を見上げると、白い雪交じりの雨でした。

「大さむ 小さむ 山から小僧がおりてきた・・・」 この歌にしろ、寒太郎のうたにしろ、いつの時も、寒さは小僧さんが連れてくるのかな。

おもしろい!おもしろい!

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