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2011年1月

2011年1月31日 (月)

海もキラキラ、お空もキラキラ

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孫が来た時、この頃のお出かけコース定番は、海のウッドデッキから海面、海底覗き込みコースです。毎回、あきることなく繰り返されるお出かけ。

魚が群れになって、ゆらゆら泳ぐ様子や海底のナマコやウニを見つけては、孫と一緒に歓声をあげたり、何より楽しい時間です。「私、子どもの頃、こんなに夢中になったことあったかな」と、孫の姿を見ては思ったりします。

イワシの子は、海面近くで遊んでいます。太陽が当たるとキラキラ輝くので、「お魚、キラキラだね~」と言うと、それに続けて「うみもキラキラ・おそらもキラキラ」。孫兄ちゃんの口から飛び出してきました。

「おさかなキラキラ・うみもキラキラ・おそらもキラキラ」と、続けていくと「ヨットもキラキラ」。

またまた、キラキラ!!

キラキラの連発です。

空気が冷え込む冬の空、海。本当にきれいです。まぶしい輝きを放ちます。

孫の目にも、海も空もヨットもまぶしく輝いて映ったんだな~と思って感激しました。

おかげで、私までまわりのすべての景色がキラキラ見えて、しあわせな気持ちになりました。

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2011年1月27日 (木)

ハワイの海よりきれい

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おめでとうございます。

28歳の時、人生初の仲人をやらせて頂いた伊豆白浜で民宿を営んでいらっしゃるHさんの息子さんに、初孫が誕生しまして、お祝いに行ってきました。

子どもが小さい頃から、1年に2~3回は訪れた伊豆白浜の海です。

本当にきれいな海の色、きれいな白い浜。

息子さんが、新婚旅行から帰ってきて「ハワイより、白浜の海の方がきれいだった」と言った言葉を思い出しました。ウンウン、おおいに、なっとく!なっとく!

こんなにきれいな海を見ていると、嫌なことなど吹っ飛びそうだね~。

白浜の海の色がきれいなのは、海底まで白い砂のせいだと聞いたことがあります。

新米ママのおじょうさんも、幼い頃、よその海で泳いだら、「砂場の砂のようだった」と言いました。

なるほど!実に適切な表現!

伊豆七島まではっきり見えた、今日の伊豆白浜海岸。

トワエ・モアの「誰もいない海」が、どこからか流れてきそうな冬の海でした。

鹿児島のNさん

メール届きました。噴火の影響はないと知り、ホッと胸をなでおろしました。

本当によかった~。

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2011年1月26日 (水)

のんびり

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今日は、一日のんびり。

昨年暮れにたくさん頂いたダイダイ(柑橘)で、マーマレードをつくっておりました。

ダイダイ搾り、白皮の処理、皮をきざむ等、けっこう根気がいり、ほぼ一日がかりでした。

お蔭様で、まあまあ美味しいマーマレードが出来上がりました。

だいだいって、正月のお飾りについている橙色のオレンジです。酸味と苦味も強いけれど、その苦味がなかなか味わい深くて、香り高いマーマレードです。はまりますよ~。

鹿児島のNさん。今夜のニュースで霧島山の噴火を知りました。

影響はありませんか?心配です。

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2011年1月21日 (金)

孫のトモモ兄ちゃん

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孫のトモモがやってきました。

本当は、爺婆がトモモとユウユの家を訪ねて行く予定だったのが、「中島水産へ行きたい」と、本人から電話があり予定は変更になって、JRで三島駅まで迎えに行ったのです。

中島水産とは?、近所にある魚屋さんで、トモモはそこの水槽にいる魚を見たいと希望したのです。この頃、自分の意志をはっきり伝えられるトモモです。

さて、見たいと希望した水槽には巨大なヤドカリが一匹のみ。「こんな大きなヤドカリ、初めてみたね~」と、私の言いたいことを先取りして、驚いていたトモモ。

お正月以来、初めて 逢った孫の顔つきがお兄ちゃんになったな~と感じた瞬間です。

トモモは、海の魚に興味を示しているので、熱海に来るとまっしぐらに海を見にいきます。

海の中をのぞいては、飽きるまで一緒に魚探しをします。そして、夕方4時頃、大島から帰港する高速船ジェットホイルの雄姿を、憧れのまなざしで見てから家に帰ります。

会話も次から次へと弾み、言葉の豊かさにも成長を感じます。

春になったら、幼稚園に行きます。

子どもって、すごいですね。一緒に過ごす時間は楽しくて、疲れもすっ飛びパワーをたくさんもらえるので、嬉しい限りです。

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2011年1月19日 (水)

割り込み新年会

Img_4177                             頂いた料理のお品書き

親しい友人のお花屋さんファミリイーの新年会に呼んでいただきました。一家勢ぞろい、あの元気3姉弟も、従業員さんたちも一緒です。私と主人は、従業員でもないのに割り込みです。(笑)社長ご夫妻、太っ腹でしょ。

旅館に向かう車の中から見た海は、月の道が出来てきらきら輝き、それはそれはきれいでした。明日、満月かな?

会場は、熱海でもトップの和風旅館。美味しい料理をいただき、始終、和気あいあいムードで本当に楽しく、満足〃の素敵な時間でした。

デジカメを持っていたのに、料理の写真を撮り忘れていました。「しまった~。」気づいたのは家に帰ってきてから。

それほど食べることに夢中だったみたいです。

食事が終わってから、全員でボーリング。熱海に一軒だけのボーリング場は、超レトロです。

点数は手書きです。年配者は記入の仕方がわかっていても、若者のグループは無茶苦茶の大でたらめで、こんなところにも時代の差を感じて笑えました。

誰かが良い得点を出すたびに、貸切の会場に歓喜の声が響き渡り、悔しさの声がもれたり。一喜一憂。心底楽しい時間でした。

親友ご夫妻様、本当にありがとうございました。お蔭様でした。

ちなみに3ゲームで、私、この年にして、12人中4位でしたよ~。

2位が主人、3位が娘。3位とはわずかに3点差。くやしい~。

※ 養護施設「お風呂大事件」は明日にします。

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2011年1月18日 (火)

はかない命

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養護施設で

秋のある朝、難病を抱えていた2歳の男の子が幼児室で亡くなっていました。

幼児室の子ども達とは、普段からあまりふれ合いがなくて、訃報を聞いたときには亡くなった男児の顔も思い浮かばなかったくらいです。

この世に生をうけて、わずか2年で、しかもたった一人で旅立っていった男の子。はかなく消えた命。寂しく悲しすぎる男の子の宿命に涙が止りませんでした。

男の子は、両親とも行方不明で、時々は祖母が施設に会いに来ていました。

ささやかな葬儀を施設で行いました。両親は連絡がとれず、祖母も葬儀にはやってきませんでした。

火葬場でも両親や祖母を待ちましたが限界になり、棺おけに蓋がされそうになった直前に祖母がやって来ました。

冷たくなった男の子に「ごめんな~。ごめんな~」とすがって泣きじゃくった祖母。生まれてすぐ、両親に捨てられ、思い病気で召された2才の子。

何の為にこの世に生まれてきたのか、また、哀れな祖母の姿に言葉は見つかりませんでした。

葬儀が終わった夜のこと。行方不明の父親が酔っ払って現われ、「わしの子どもを返せ。子どもが死んだのは施設のせいだ」といつまでも、くだをまいていたそうです。

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2011年1月17日 (月)

16年前

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16年前、私は熱海市立初島保育園に通っていました。

熱海港から船で25分、静岡県で唯一の離島です。朝、5時には起きて、当時高校生だった娘のお弁当や家族の朝食を作り、熱海港発7時の船に乗って2年間通勤しました。

港までは家から歩いて10分ほどです。

16年前の今日、阪神大震災が起こったのを知ったのは、保育園に着いてからでした。

テレビは震災の現状と恐ろしさを次〃と伝えていました。

あれから、もう16年。

あの時、最年少だった2歳の男児は、今、東京で調理師の専門学校へ行っていると聞きました。いずれ、島に帰って民宿のあとを継ぐ青年です。

厳寒の日が続きます。冷え込んでいる日は、朝が透き通るようにに美しい気がします。

今朝の空は、とてつもなく限りない青。

きれい!!!と心にしみた青でした。

夕方の海もきれいでした。熱海港より・・。

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2011年1月16日 (日)

記念樹

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子ども達が学校に行っている昼間の仕事は、洗濯、破けた衣類のつくろい、部屋やトイレの掃除など等〃。

トイレといえば、使用する紙の準備もしました。それが・・、漫画や雑誌をばらして束ね、黒い木綿糸でしばってトイレにかけるのも仕事の内でした。漫画の紙って、分厚くて硬いのですよ。当時、水洗式トイレの普及はまだまだの時代でしたが、「まさか・・漫画の紙とは・・・。」

施設の建物は廃校になった学校を使っていて、年令、学年別に部屋が分かれており、一緒に働いている若い保育士は、中学生の部屋が並んでいる二階に住み込んでいました。

その頃、たしか火曜日夜9時から「木下恵介アワー・記念樹」というドラマをやっていました。施設の子ども達の生活や心情を描いたドラマ。仕事が終わって火曜日の夜は、保育士皆でドラマ鑑賞。

毎回見るたびに、毎日身近に実感しているような話が展開するドラマに、皆一様に涙したものです。

ドラマでは、記念樹の桜が・・どうだったのか記憶から薄らいでいますが、施設にも裏庭の少し小高い日当たりの良い場所に桜の木が一本立っていました。桜の木の下で、かくれんぼや鬼ごっこをしてしたものですが、「記念樹」の中の桜と施設の裏庭の桜がだぶって見えることも何度も何度もありました。

泣けました。

これは、悪まで私が勤務していた40数年前のお話です。

「記念樹」ドラマの最後に流れた歌

桜の苗が大きく育つ頃 ぼくらはみんな大人になるんだ

あいつとこいつ あなたと私 真っ赤なほっぺをしていたね

うれしきゃ泣いて寂しきゃ笑うんだ なかまがいつも見てるじゃないか

それでも悲しきゃ大きな声で 呼んでみるんだ母さんと

なんでだろう?ふしぎ?

歌詞もメロディーも、すらすらと出てきます。

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2011年1月15日 (土)

クリスマスには楽しい夢を

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施設の子ども達の楽しみは、クリスマス会や誕生会、季節のイベント。夏には盆踊りもやったかな~。確かなことは忘却のかなたへ・・。なにしろ、40数年前ですからね~。

クリスマスには、いろいろな団体などからプレゼントが届いて子ども達が一番輝く笑顔をみせるささやかな幸せの時。そして、保育士にとっても幸せなひと時です。

クリスマス会を行ったその日の夜に、夜勤で部屋を見回って布団をなおしてあげていると、「サンタさ~ん、ありがとう」と寝言を言っていた子もいました。ホロホロ・・・・

よほど、楽しい夢をみていたのでしょう。

中には、実のおやからプレゼントが贈られてくる子もいるのですが、そうでない子の深層ではどんなことを感じ、考えていたのか計り知れないものがありました。

日常においても、親から手紙が届いたり面会に来る子、まったくない子、それぞれでした。

親との交流が全くない子の思いとその姿は、今でも心に焼き付いて時々思い出します。

小学5年生のK君もその内の一人でした。普段はいたずらをして、施設長や総活保母の怖~いおばあさん先生に怒られたり、追いかけられてもすばやく逃げ切り、アッケラカーンとして、夕方になるとテレビを見るのを楽しみにしていました。当時放送していた鉄腕アトムや何とかのヒーローものをみては、アトムやヒーローになりきって、主題曲を歌いまくっていました。生きるたくましさを持っていたK君には、もう脱帽!でした。

そんなK君の、親と面会したり外出をする友だちの姿には寂しさを隠しきれずに、そっと遠くから肩を落として見ていた姿。

しっかり覚えています。

K君、施設を出て社会人になってからも、きっとたくましく生きているのでしょう。

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2011年1月14日 (金)

男の子は坊主刈り、女の子はおぼこ刈り

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施設で子ども達のお母さん的存在である保育士は、担当の子ども達の授業参観のために学校へも行きました。

8~10人子どもの授業を参観するためには、時計を気にしながら、いくつもの教室を掛け持ちしなければなりません。教室に入ると、ちらちらと後ろを気にして目で私の姿をさがすのです。子どもが先生の質問に手をあげて答えようものなら、うれしくてドキドキしました。思えば、20歳の若さにして、すでにお母さんの気持ちを味わっていたのですね~。

私の勤めていた施設の子ども達は、男の子は全員坊主狩り、女の子は前も後ろも短くまっすぐに切る髪型のおぼこ刈りと決まっていました。

おぼこ刈りは、戦後生まれの私の子ども時代に定着していた髪型で、今から40数年前といえば、坊主狩りやおぼこ狩りはすたれて、ハイカラな髪型が流行っていた時代です。当然、子ども達の本音は、「こんな頭、いやや」で、その思いをぶつけてくる子もいました。が、月一度ボランティアで来られる床屋さんに、順番で横並びに頭を刈られていくのです。

私は、院長先生に「子どもたちの髪型、希望を受け入れてもらえませんか」と申し出ましたが、「あかん、あかん」と軽くあしらわれてしまい、情けなく悲しい思いをしました。

学校では案の定、坊主頭は施設の子とレッテルが貼られて、いたずらや言うことをきかない子は坊主頭と、面談の時に先生に言われたこともあるほどで、とても腹立たしい思いをしたことを覚えています。

自分の好きな、やってみたい髪型を選ぶ自由もない子ども達の生活の現実を見せつけられて、やりきれなく虚しい心持の私がいて、でもどうしてあげることも出来ない無力さをしみじみ味わったものでした。

これは、あくまでも時代を40数年前にさかのぼった、私が勤めていた施設の話であって、今では勿論、このようなことはないものと信じています。

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2011年1月13日 (木)

「かあちゃんな、わいを迎えに来てくれるんやで」養護施設やっちゃん

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やっちゃんという小1の男の子がいました。やっちゃんは、逆さまつ毛があって、太陽を浴びるとまぶしくて、人一倍目をパチクリさせたり、普段も目をかゆがったりしていました。

それでもやっちゃんは、いつも元気いっぱいに身体を動かし、いたずらをしては叱られてばかりいるやんちゃ坊主でした。

木枯らしが窓ガラスのすき間から入り込んでくる、冬の寒~い日のこと。やっちゃんは風邪を引いてお風呂に入れず、一人で身体を丸めて部屋にただ一つだけ置いてある火鉢に手をかざし暖めていました。

ちょうどその時、やっちゃんの部屋の前を通り過ぎようとしていた私。

「やっちゃん、どうしたの?」「わい(ぼく)な、風邪引いてな、風呂に入れないねん」「そう~。じゃ、誰もいないから先生が抱っこしてあげようか?」「うん」思いもがけず素直にうなづいたやっちゃん。

「せんせ。」「な~に」「あんな、わいの母ちゃんな。ここへ来んけどな。一生懸命働いているんや。そしてな。母ちゃん、わいを迎えにきてくれるんやで。わいな。楽しみにしてるんや~」

ドキっとしました。その時、私は「こんなに可愛い子を手放して、お母さんは何してるの!」と考えていたから。幼いやっちゃんに、私の心を見透かされてしまったような気がしたから。ドキっとしたのです。

やっちゃんを抱っこして子守唄を歌ってあげていると、やっちゃんは具合も悪かったせいか、そのうち眠ってしまいました。

なんだか自然に涙がこみあげてきました。

涙が流れないように天井を見つめて、やっちゃんの顔に目をやると・・・。

眠っているはずのやっちゃんの閉じた目から涙がツーッとほっぺを伝わって流れました。

やっちゃんの両親は行方知れずで、施設に一度も逢いに来たことがないと聞いていました。そんな親を信じて、一途に待ち続けているやっちゃん。

それまでの私は、施設の子ども達の親を恨んで、批判していました。「どうして、自分の子どもを捨てられるのか」と。

でも、やっちゃんの涙をみて、「どうしても一緒に暮らせない深い事情があったのだ。親が子どもを捨てるわけがない」と思いました。

人の考えって、ほんの小さな出来事によったり、ほんの短い時間に変わることもある。

血気盛んで未熟な私に、実感させてくれたやっちゃんとのふれ合いの時でした。

あ~。どうして、こんなにも鮮明にあの時のことが思い浮かぶのでしょう。胸がつまります~。

やっちゃん。今、何処でどのように暮らしているのでしょうか。

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2011年1月12日 (水)

養護施設の話 伊達直人共感現象に思う

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寒いですね。

厳しい寒さの中、メディアから伝わってくる世の中をめぐるタイガーマスク現象。心温まるお話ですね~。一人のヒーローが起こした行動への共感が人の心を動かし、その輪が広がっています。い~い話。

こんな現象、今まであったでしょうか。施設の子どもたち、喜んでいるでしょうね。私も、もしかしたら誰よりもこの現象に喜び、感動している人間かもしれません。そして、感動と共に思い出しました。40数年も前のことを・・。

岡山の高校卒業後、兵庫県の養護施設に2年間勤めました。私は、小学5年の時、母と死別し、とても寂しい想いをしました。その想いが、施設で過ごす子ども達の為に働きたいと、行動を起こさせました。

養護施設は、いろいろな事情があって親と一緒に暮らせない環境不遇な子ども達が寝起きを共にし、過ごしているところです。

情熱をもって勤務した施設は、乳児から中学生まで(高校生が一名いたかな)120名定員のかなり大きな施設で、親が行方不明だったり、親に捨てられたり、虐待されたりと一人一人が事情のある子ども達が一緒に生活をしていました。

情熱の塊を持ってスタートした保母(今は保育士)の仕事は、小学高学年生8~10名の受け持ちから始まりました。子ども達の身の回りの世話や、部屋の掃除から洗濯、破れた洋服のつくろいまで、一般の家庭でお母さんがやることはすべてやりました。

う~ん。お母さんと言うより、お姉さん的存在で子ども達に接していたかな。子ども達は一見元気そう。私も、若さとパワーで元気いっぱい。

でも子ども達はみんな、内面は深く傷ついていた。

当時、本当にいろいろ出来事があり、その一つ一つに社会の底辺で暮らす子どもの姿を見ました。

施設で働いた2年間は、私がそれまで考えていなかった自身への気づきを得ることになった、人生で最も貴重な経験でもありました。

人生を振り返ったとき、あの二年間だけは今でもはっきり鮮明に甦ってきます。

施設の子ども達の顔や姿、出来事、そして若かった私の姿。思い出すと涙がこぼれそう。

40数年も前のことなのに・・。

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2011年1月11日 (火)

さくら?うめ?

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「えっ、これ、さくら?うめ?」 観光客が驚いて見上げていました。

これは桜です。

熱海糸川沿いの、熱海桜が咲き始めました。

世の中、厳寒の真っ最中だというのに早い開花でしょ?

ブルッとしながら桜を見上げると、心ホッとして春の中にいるような錯覚をおこしそうになるので面白いです。

あまり寒いと、せっかく咲いた桜も「早く咲きすぎた~」と後悔しているかも知れませんね。

ちょっと、かわいそうです。

8日から梅園の梅祭りも始まり、これから熱海では梅と桜が同時に楽しめます。

さて、写真の中にメジロがツンツン花の蜜をついばんでいます。

メジロはどこにいるでしょう?

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2011年1月 9日 (日)

成人式の日に 願い天までと~どけ

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熱海では、本日成人式が執り行なわれました。

娘の成人式を思い出します。朱赤の振袖を着て、可愛かった~。成人代表で感想文を読んだのですが、緊張して、原稿のページをめくる時に「よいしょ!」と気合を入れたのがマイクを通して会場に流れ、親はヒヤヒヤ。幼なかったんだわ~。つい最近のことのように思い出されます。あれから月日が流れ流れて・・。

娘の結婚が気になるこの頃です。神仏に手を合わせる時も、ついつい「娘の良縁」を願うのですが、自分なりの結婚観をもっており、なかなか、このことについてはコミュ二ケーションがうまくとれずに、内心気をもんでいるような訳です。

一番願うのは、何と言っても娘の幸せです。

こんな折、普段からお世話になっているお寺のご住職に言われたことがあります。先代のご住職が高僧で「御前様、御前様」と皆さんから慕われていらっしゃいました。

午前様が生前 、うちの娘のことを、「この子は、自分の生き方を納得いくまで探す子だから、結婚は遅くなるだろう」と、おっしゃったそうです。現住職から初めて聞いてなんと、驚いたことか。おっしゃったことが、ぴったりとくるからなんです。

ある意味、安心した面もあって、心から見守ってあげるのがいいのかな~と思うのですが、反面、「そろそろ・・」という親の葛藤が消えるわけではなく、やはり気がかりは続くのだろうと思います。

心から見守るだけというのも、なかなか難しい。

そう思った矢先、御住職の奥様からは、「親からの押しも大事」と言われました。的確なアドヴァイスありがたいことでございます。

まあ、程好くですかね。(笑)

熱海サンビーチでは、恒例のどんど焼きと、祝成人寒中水泳が行われました。どんど焼きで、お正月のお札やお飾りを燃やして、家族の無病息災を願いました。

娘の良縁を加えて、この願い、煙と一緒に天までと~どけ!

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2011年1月 8日 (土)

よっ、日本一!

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あたまを雲のうえにだし 四方の山をみおろして~富士は日本一の山 

メロディーロードで流れる富士山の曲に合わせて思わず鼻歌がでたりして。

自分の姿を、家族に気づかれないよう、一人ひそかに静かに笑っておりました。(クスクス)

ところでこの唱歌、今でも小学校の教科書にのっているのでしょうか?

岡山の田舎の小学校で習い、歌った”富士の山”(かな?)頭を雲の上の出し・・なんて、狭いすり鉢の底のような地形の土地に住んでいた、田舎の子どもには、想像なんて出来ない歌の世界でした。「一度は富士山をみたいものだ」とその頃から、子どもながらに憧れていたのかもしれません。

そんな私が、「そうだっ、見に行こう、富士山」と思い立ったら、すぐ実現できる地理的条件の熱海に住もうとは、思ってもみなかった~。

家族(主人・私・娘)と箱根にドライブしました。熱海から箱根は、十国峠を越えて、以外と近いのです。

少しモヤがかかっていましたが、久し振りに雲ひとつない美しい富士山に出会えました。遠く左の方には、南アルプスも望めました。

冬の富士山、いいですね~。

「よっ、日本一!!」 なんとも、ご立派で堂々たるお姿ではございませんか。

小山市の美容師さんへ。

いつもブログを見ていただいて、ありがとうございます。

小山はどんなところかな~と、思いをはせていま~す。

鹿児島のNさん

年賀状届きました。娘がアルバイトをさせて頂いた花屋さん、よくわかりましたね~。

訪れたような感じって、なんて感性豊かな方なのでしょう。す・て・き!

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2011年1月 7日 (金)

大さむ小さむ

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きたかぜこぞうの寒太郎 ことしも町までやってきた~~ ヒュ-ンヒューンヒュルルンルンルンルン寒うござんす・・・

この時期、保育園から流れ聞こえてくる”北風小僧の寒太郎”。ユーモアたっぷり、愉快な歌です。 

昨日は小寒の入り。「おはようございます」の挨拶も、白い息になって消えます。

寒さが厳しくなってまいりました。が、熱海では、もうあたみ桜のつぼみが膨らみ、開花しはじめました。梅園の梅もたくさん咲いて、もうじき梅と桜が同時に楽しめます。

冬は空気が澄んで空も海もきれいに見えるので、寒いけど、冬の散歩が好きです。

ほら、初島(写真上左海上)も伊豆大島(写真上初島の右奥)も、はっきりくっきり見えますよ。

昨夕の夕焼けは、強烈な感動でした。そして、今日も美しい夕焼けを見ることができました。夕焼け時の空の青も、冬ならではの心に染入る青で「きれい~」。

帰り道、肩に冷たさを感じて上を見上げると、白い雪交じりの雨でした。

「大さむ 小さむ 山から小僧がおりてきた・・・」 この歌にしろ、寒太郎のうたにしろ、いつの時も、寒さは小僧さんが連れてくるのかな。

おもしろい!おもしろい!

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2011年1月 6日 (木)

夕焼け色の海

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「うそっー」と思わず絶句。

夕方、ぶーらぶらと散歩に出かけて海の見える場所に着くと、偶然にもご覧のような夕焼け色の海の景色にであいました。そこで、思わず絶句したわけ!

西の山の空は真っ赤に燃えて、東の水平線上に垂れ込めたカーテンみたいな真っ赤な雲。。そして、海一面が夕焼け色に染まっていました。

こんな景色は一年に一度か二度、見られるかどうかの海の景色です。なかなか出会えるものではありません。

宇宙の不思議、自然の醍醐味に一人すっぽり包まれて、めちゃめちゃ感動の渦の中に誘われていました。寒かったので海のそばに人気はなく、私、独り占めしたみたいです。「いいのかな~」

なんだか、今年、幸先がよいかもね。

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2011年1月 5日 (水)

ウサギの夢タロウ

Img_4019               ウサギの夢タロウ君

今年はうさぎ年。頂いた年賀状にも何枚か「ウサギのように飛び跳ねたい」と書かれたものがありました。

そうか・・。うさぎ・・。そう改めて意識したら、何故か私の中で、うさぎ年から繋がっていった一匹のウサギ。

写真は、新年5日目にして、しみじみ思い出したウサギの夢ちゃんこと夢タロウ君です。ちなみに、昭和63年に撮った写真。骨董ものですね。(笑)

私がお山の保育園に勤めていた時、子ども達と一緒に遊び、世話をした夢ちゃん。写真に写っている手は園児の手です。

豊かな自然に囲まれたお山の保育園で、”身近な自然に関わりひとりひとりの子どもが、目を輝かせて活動できる子に”をテーマのもとで、子ども達と一緒に保育の展開をしてきました。

研究発表もしたので、「記録がどこかにあったはず」と探してみたところ、そうしたら、出てきました。写真と当時の記録が。

夢中になって読んでいるうちに、子ども達との思い出が生き生きとあざやかに甦ってきました。まるで、あの頃にタイムスリップしたかのように。ひとりひとりの子ども達の笑い声や泣き顔までもが、浮かんで消えました。

あの時受け持った子ども達も、もう30歳近く。パパやママになっています。

しみじみがもっとしみじみとなり、胸が熱くなりました。

今度、記録の内容をブログに書き込んでみようと思います。

今日は、リンパマッサージを受け、腰の痛み(たいしたことではありません)と、夕べの少しばかりの頭痛がすっかりよくなり、すっきり爽快です。

年末の疲れと、年始の食べすぎ?のせいみたい。

私、年の割にはたいしょくです。今年は食べすぎないように気をつけよ~っと!(ホントかな?)

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2011年1月 4日 (火)

思い立ったら実行

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新聞の旅行広告を見ていて、ある数字が目につきました。

感動の「オホーツク流氷船」の広告の下のほうに小さな字で書かれている流氷体験率。2008年ー86%・2009年ー52%・2010年ー39%の数字で、明らかに年々流氷を体験出来なくなっている数字です。

3年前の2月に、前々からぜひ行きたかった流氷を見に行きました。温暖化が進んでそのうち流氷が接岸しなくなると言われ始めたころかな。まさに、その通りになってきているのですね~。おどろき!

実はあの年も暖冬で、流氷はどうなることやらと心配していたのですが、出かける2、3日前に接岸したということで、ばっちり!の流氷体験が出来ました。日頃の行いが良いので。(笑)な~んちゃってね。でも、ほんと、超ラッキーでした。

流氷観光砕氷船おーろら号に乗って、見渡すかぎりの流氷原を進んだ流氷体験。

流氷を割り砕きながら、塊が船にぶつかる音は迫力満点。大自然の醍醐味を満喫しました。

あの年、行動をおこして本当によかった!

話は変わりますが、過去に、越地吹雪さんという歌手のリサイタルに一度は行きたいと願いつつも、亡くなられて行くことがかなわなくなり、後悔した苦い思いがあります。

思い立ったら、行動、実行すること。大事です。

あちこちから雪の便りが届きますが、ご当地は温暖で晴れていると、昼間など暖房も不要です。ありがたい、ありがたい。

ところがね、昨年の三月には珍しく何十年ぶりに積雪があり、美しい雪の花が咲いたのですよ。

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2011年1月 3日 (月)

御前様でした

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Img_4008                  正月花(購入先→友人の花屋さん)                

昨夜は、主人と一緒に友人宅へ年始に伺いました。

お正月二日目の恒例です。結婚した当初からの長い、また、家族ぐるみのお付き合いです。

あっ、そう。あの元気な3姉弟、マヤマヤ・ケントト・アカチュチュのおじいちゃんとおばあちゃんです。3姉弟は両親と名古屋に出かけて、いつも賑やかなお宅はひっそり。何とも不思議な空間です。

花屋さんを経営しているご夫婦は、朝から晩まで働いて、何処のお店よりも新鮮でセンスもばっちりなお花を提供しています。

その働きぶりは、とても真似が出来ないほどで、いつも「すごいな~」と尊敬しているのです。

普段は、ゆっくり話したり食事をしたりする暇もないのですが、一年に一度お正月に訪れて美味しい料理やお酒を頂きながら、本音のおしゃべりを楽しみます。時にしんみり、時に大声で笑ったりと、こんな具合に。

こんなに親密な良い関係が続いてきたのも、私達の間に信頼関係が変わりなくずーっと保たれているからでしょうね。いろいろと心の交流があって。その積み重ねのたまものですかね。

とにかく、嬉しい関係。これって宝物ですね。遠い親戚より近くの友人?まさに、そんな感じ。

まあ~、てなわけで、夕べは盛り上がりましてお酒も進みましたのです。

気がつけば、夜中の12時をまわり帰宅は、午前様でした~。深夜一時。

まっ、いいか~。一年にいっぺんのことですからね。

もう、三が日も終わりですね~。あっという間でした。明日から仕事初めの方も多いのでは?

私も、明日は午後から耳鼻科のお仕事です。今年も頑張るぞ~。

岡山のKさん。いつもありがとうございます。大手饅頭は売れていますか~。

鹿児島のNさん。元旦に黒豚しゃぶしました。家族一同、テンションあがりました。ありがとうございました。

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2011年1月 2日 (日)

初日の出

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2011年元旦の初日の出。熱海の海岸から、相模灘に向かって撮りました。

雲ひとつない空、水平線から新しい年の日が昇りました。すべての人に、素晴らしいことが待ち受けていることを導かれる、と思えるような輝かしい初日の出です。

私も、初日の出に導かれてパワフルにいきたいものです。

あさ8時頃の空。底抜けに青い空。吸い込まれそうな空の青でした。「スカッとくるな~。心にしみいるな~」

本当に清々しい元旦の朝でした。

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2011年1月 1日 (土)

明けました

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新年あけまして おめでとうございます

皆様にとって、お元気で幸せ多き年になりますように、心をこめてお祈り申し上げます。

昨年を振り返る間もなく、新しい年が明けました。

今年は、どんな年になるのでしょう。与えられたことは一生懸命やって、あとは、気の向くまま、風の吹くままに過ごせたらいいなと思います。

おっと、そんな訳にはいかないか。

昨年の暮れに、ある方からお歳暮に、相田みつを作品集日めくり「ひとりしずか」を頂きました。

初日の日めくりは、

「その時の出逢いが」 

  出逢い

  そして感動

  

  人間を動かし

  人間を変えてゆくものは

  むずかしい理論や

  理屈じゃないいなだなぁ

  感動が人間を動かし

  出逢いが

  人間を

  変えていくんだなぁ

  

今年は、どんな出逢いと感動があるのかなぁ

   楽しみ!!

写真は、熱海来宮神社の新年の神事の炎と、樹齢4000年のくすの木です。

来宮神社くすの木は、今、注目のパワースポットです。

         

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