9月がきたよ~つくつくほうしがそういった~
と保育園から風にのって、この歌が流れてくる頃になると毎年思い出すことがあります。
「あれっ、たっちゃん?」私が熱海に住むようになった40年前のこと、清水橋ですれ違った男の子6人の中の一人に「まさか・・。」と信じられない気持ちで声をかけました。
男の子達は、一瞬びっくりした顔を見せたかと思うと、なぜかどんどん早足で逃げていくのです。
逃げる子どもを追いかけて、私は子ども達を家に連れてきました。
子ども達とは、その時から5年前まで私が勤めていた兵庫県加古川市の養護施設で受け持っており、社会の底辺で寂しく悲しく生活していた子ども達でした。
「どうしたの?なぜ熱海にいるの?」と私が問うと、「わいら、みんな就職してるんやけどな、休みを一緒にとってな、熱海に来たんや。」
「そーう、中学を卒業してもうみんな社会人なんだね。」
「そうや。」と言う言葉を疑う余地もなく、みんなで作ったカレーを食べながら施設で一緒に過ごした思い出話をしていました。彼らはカレーを「おいしい!」と言っておかわりをして食べました。
話しながら時間が過ぎていくうちに、懐かしい彼らの顔や様子にかげりを感じるようになり「なんか違う・・この子達、本当に就職している?」という思いが沸き起こってきました。
「仕事は何をしているの?」「どこに住んでいるの?」と、私の突っ込んだ問いかけに、あの頃いちばん無邪気で子どもらしかったたっちゃんが、「わいら、学院がいやになって逃げて来たんや。」とぽつんと言いました。
私ははじめて彼らが早足で逃げていった意味を理解し、一瞬血の気が引くのを感じながら子ども達の顔をひとりづづゆっくり見回しました。。彼らは「もううそはつけない」とあきらめて、一気に緊張の糸がときほぐれ、かえってほっとした顔にに変わっていました。
詳しく聞いててみると、学院に居るのがいやになって学校へ行く振りをして上り電車にのったこと、盗みなどの悪いことはやっていないこと、数え切れないほどある各駅で熱海には知っている人がいるという心つながりで行動したこと、無賃乗車で乗り継ぎをしてたどり着いたこと、乗務員の見回り時にはドキドキしてトイレに身を隠したこと、熱海駅でおりて改札外から出てずっと下ってきたこと、先生(私)に会いたいと思いながら歩いていたこと、そして偶然にも私に巡り会ったことがわかりました。
加古川から熱海へ、「この子達はどんなに心細かったことか」と、その心根を思うと胸がいっぱいになり、彼らを抱きしめてあげたい衝動にかられながら、「こんなことがあるなんて!これは偶然じゃあない。神様は確実にいらっしゃる。」と思いました。
そして何より子ども達が無事であったことに感謝しました。
あわてて施設に連絡を入れると、子ども6名が行方不明になり大騒ぎになっていて、県内に捜索願をだし、見つからないので全国に捜索願を出す寸前とのことでした。
翌日、施設の副院長先生と指導員の先生がが迎えに来て、無事子ども達は帰っていきました。
あれはなんて不思議な巡り会いだったのでしょう。夢の中での出会いだったのかとさえ錯覚します。
もし、あの時、お使いに出る時間がほんの数分ずれていたら、あの巡り会いはなかったでしょう。あの子達は不安に襲われ、路頭に迷い、空腹に耐えられず悪いことをして逃げていたかもしれません。
生きていると本当に不思議なめぐり合わせや、偶然で意味のある出会があることを実感した忘れられない出来事でした。
何かの力に導かれた、そう思うのです。まさに神がかりであったと思うのです。
思い出すたびにあの時会えて本当によかった、ありがたかった。また、うらはらにあの時あそこで子ども達に巡りあっていなかったらと思うと、今でも恐ろしい気がします。
彼らはもう50才位になっているのでしょうか。会ってみたい気がします。
(写真) 十国峠からの夕日
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